贈与を受けない生(完全な自立したシステム>誇大妄想とナルシシズム)

「贈与」を受けない生とは

<転載部分>

先に中沢さんの議論を参考にしながら述べた通り、原子力技術の特徴は媒介と外部性の抹消です。中沢さんは「贈与」という言葉も使っています。太陽から贈与されるエネルギーを様々な媒介を通じて受け取るというのが原子力以前のエネルギー利用でした。それに対し原子力技術は、生態圏の外部にある贈与の源を内部に取り込むことで、贈与と媒介をしようとする。言い換えれば、外部を内部に取り込むことによって、外部からの贈与に依存しない、完全に自立したシステムを作りだそうとする。このあり得そうにないシステムへの強い希求がこの原子力信仰の内実ではなかろうか。

<転載、以上>

<連載部分>

ナルシシズムは、ある種の全能感と結びついています。フロイトはそれを、もともと人間が幼児の段階で感じていた全能感の回帰として考えました。つまり幼児期に我々は全能感を感じていたけれども、それを断念し、失うことで成長していく。しかし、かつて感じていた全能感への渇望は心の中に残り、一定の条件がそろうと、それは誇大妄想という形で人の心に現れる。
フロイトは、このように考え、幼児期に感じていた自己充足感を一次ナルシシズム、大人になってからのそれを二次ナルシシズムと名付けました。この二次ナルシシズムはリビドーのメカニズムによって説明されています。(後略)
人間はなかなか一次ナルシシズムへの憧憬を捨てられない。そして二十世紀にある技術が登場したときに、その欲望が再燃して、「これでやっと何にも頼らなくても生きていけるぞ」というような気持ちがもたげてきた。なぜ、原子力が悪魔的な魅力を持っているかというと、人間の心の根底にあるそうした弱さに付け入ってくるからだと思います。悪魔はいつも人の心の弱さを利用する。

<連載、以上>

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<Wikpediaより、転載部分>
リビドー: libido)は、日常的には性的欲望または性衝動(sex drive)と同義に用いられる。世間一般的には、リビドーという言葉は抑えきれない性的欲求のようなものを指して使われる。特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。
これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてた[1]ことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。
<転載、以上>

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<この項 了>

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