地域コミュニティのビジョンを考える:その1「核となる概念」

何故、地域コミュニティが必要となるのか?どんなコミュニティが求められるのかを知ることが「地域コミュニティのビジョンづくり」につながっていきます。そうしたビジョンの不在こそが、地域コミュニティの成長を妨げているのです。求められないものであれば、育成も成長もできないのは自明の理です。

このコーナーでは、そのビジョンづくりを考えていきます。その第一弾は、

「地域コミュニティとは何か」:その核となる概念を考える

です。日本の文化、また、小金井という地域でのコミュニティを考えていきます。具体的には、部会内での討議の材料となる情報を掲載していきます。

1) 日本文化、日本の風土としての「社」という概念を発見する

「社・杜」を考える

日本語には、「社」という便利な漢字、言葉があります。関連した言葉にま、馴染みの深い「社会、神社、公社、社団法人」などがあります。その英訳はsocietyになります。明治時代にこのsocietyという言葉の訳語として、この「社会」という言葉を宛てたのは、福地桜痴という人物だそうです。この言葉のもつ、日本文化との関わり、意味を知るためにこのことを私が知ったエッセイ「この国のかたち(三) 司馬遼太郎著」の文章を以下に転載して、ご紹介します。

<転載部分>

社という漢字はまことに使い勝手がいい。

もしこの字がなければ、西洋文明を導入するにあたって明治初年の日本はこまったにちがいない。たとえば、社は、神社にもなり、社会にもなり、会社にもなった。

まずは、古代中国の村落の一光景についてふれたい。

『周礼』という本の成立は、じつに古い。その成立年代に疑問があるとされているにせよ、伝統的には、紀元前十二世紀に存在したという。

それによると、周の集落の最小単位が里(り)であった。里は二十五戸とされた。その里ごとに、慣習として、「社」という空間があった。

ごくちっぽけな空地で、建物はなかった。

ついでながら、示編(しめすへん)は、礼、祈、祝、禁などの文字に見られるように、偏そのものが神聖をあらわしており、当然ながら社という文字は神聖な場所をあらわしている。

年毎に里のひとびとは社にあつまって、土地の神を祭り、五穀豊穣を祈った。

このあたり、日本の村ごとにある鎮守の氏神を想像すればいい。

(中略)

話がさらにかわるが、小学館の『日本国語大辞典』によると、英語のsocietyの訳語を

「社会」

としたのは、明治八年(1875年)、福地桜痴(ふくちおうち)だったという。社会とは“人間が構成する集団生活の総称”であることを思うと、まことにうまい訳語だったといっていい。

桜痴は長崎の生まれで(1841年)、オランダ学や英学をまなび、幕府につかえた。

明治後は、新聞を発行したり、新政府につかえたりしたが、明治八年ごろに「東京日日新聞」を主宰していた。

稀代の才人で、当人自身、幕末、「風流第一才人」などと称し、蘭、英、漢、それに江戸文学に通じていた。さらに戯作も書き、遊里にもよく遊んだ。

また、幕末の最末期に、幕臣でありながら、国家改造案(将軍中止院の立憲体制)を考えたこともあったし、維新直後、士籍を返上して町人になり、浅草で長屋住まいもした。

まことに“社会”という訳語をつくるにふさわしい人物だった。このことばは、たちまち明治社会で重宝された。

『周礼』の中の「社」はその概念が半面が日本語としての神社となり、他の半面においては社会ということばに発展した。しかも「社」はそのほかでも多用されている。会社、社交、社用、社団法人、どれもが、古代の周の二十五戸の村里で人があつまってきた光景をおもわせるのである。

<転載、以上>

私は、この小さな空間「社」が地域のコミュニティではないかと思えます。住んでいる小さな地域がそのままコミュニティになるのではなく、その地域構成員が集まる小さな空間「社」がコミュニティ=必要とされて集まる場所の存在とその必要性こそが、コミュニティの存在=アイデンティティのように思います。住居の集まりがコミュニティではなく、その集まる小さな空間があってこそ、コミュニティができるのではないかと思います。しかも地域の人々の必要に迫られて生まれる空間であることです。こうした場所・空間・拠点づくりこそがコミュニティづくりの核と思います。是非、こうしたことをベースに今、この地域では、どんな必要性がコミュニティづくりにあるのかを討議できるようにと考えています。それぞれ、ご意見をお願いします。

また、生活環境部会では、各世代向けの学習プログラムとして、コミュニティづくりへの学習基礎編のその1として、この司馬遼太郎氏のエッセイにある幾つかの内容を取り上げていきます。この教育コンテンツ設計は、こちらの地域社会教育のためのコンテンツとシステムづくり研究からの成果(物語教育)を展開していく計画です。司馬遼太郎氏のコンテンツ整理は、こちらでご覧いただけます。

【さらなる授業展開の方向性】

上記の「社・杜」学習の展開を考えていきます。具体的には、第一回のコンテンツにあった「福地桜痴」や中略した部分にあった韓国での社にあたる神聖な空間「堂山(ダンサン)」や「鎮守の森」については、東アジア共通の習俗をまなぶという展開が考えられます。また、英語とその文化学習では、「society」という言葉を取り上げることも考えられます。言葉から英語文化を学ぶプログラムで取り上げていきたいと思っています。

1)モデル公園の活用展開編:栗山公園>小金井市中町、東町

現在、栗山公園エリアで実施している歴史調査の成果をコミュニティ拠点学習基礎編のその2として、学習プログラムを設計していく計画です。>こちらから

2)モデル歴史遺産(史跡)と地域公園連携による展開編:玉川上水と名勝小金井桜>小金井市桜町他

現在、東京都と流域区市連携(小金井市も含む)で推進してきている玉川上水と名勝小金井桜の育成・保全を発展的に進めるための地域公園(緑地公園も含む)コミュニティ拠点学習基礎編のその3として、学習プログラムを設計していく計画です。>こちらから